2019年5月4日

「勉強」じゃない例

【広報担当のつぶやき】

私も、例に漏れず、「勉強しなさい!」と言われて育ちました。

で、やっぱり、「勉強」はキライでしたねー。

でも、大人になって、クイズ番組を見るのは好きだし、けっこう正解率も高いつもりです。

「勉強」はキライだけど、学ぶことはキライじゃなかったんだと思います。

だけど、子供のころは、何のために勉強するのかわからなかった。

勉めよ、と強いる。あるいは、勉めよ、と強いられる。分解してみると、かなり恐ろしい言葉です。

いまのように社会の基盤が整った時代は、勉めよと強いる時代じゃないかもしれません。

学んでいることの楽しさ。それを家族がアピールできたら、子供世代も「勉めよと強いる」のではない、新しい学びの可能性を探れるかもしれません。

また、子供にとっても、学校の教科でなくても、熱中できる「学び」があれば、自然に勉強もするようになるという説もあります。それを提供してあげるのも、大切なことだと思います。

令和ですし。

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